新潟県長岡市の衣類修整のプロ集団、山田修整有限会社専務の吉田です。
わたしは、絵本・昔話・児童文学も好きなのですが、「先縁尊重のロゴ」をあれこれ考えながら思い出していたのが、日本昔ばなしの「わらしべ長者」です。「何をやってもうまくいかない貧しい男が、運を授けてほしいと観音様に願掛けをすると、観音様が現れ、お堂を出た時に初めて手にしたものを大切にして西へ行くようにと言われる。男が言われたとおりにしていくと、様々な出会いがあり、最終的には大長者になる・・・。」
解釈は様々できると思いますが、わたしが恩師から受けた教え「はじめの一を大切に」から「先縁尊重」にも通じ、今でも肝に銘じていることは、ちょっと堅苦しい表現をすると次のようになります。「自分の立場や状況がどのように変わろうとも、社会的な地位や収入が上がっても下がっても、自分が何者でもなかった頃を忘れてはならない。私は生かされてある。このことを心に留めることが自分自身を生涯守ってくれるだろう。」
「わらしべ長者」の男ははじめの出会いを大切にしながら、手に入れたものを自分のものとせず、次々を交換していきました。もともと自分は何も持っていなかったのだから、惜しむものはないし、独り占めすることでもないというスタンスを保ち続けていきます。対象的な人物としてわたしのココロに浮かぶのは、芥川龍之介の児童向け短編小説「蜘蛛の糸」に出てくる男カンダタです。地獄に落ちたカンダタを救うために天から垂れてきた1本の蜘蛛の糸・・・。地獄から出ようと、その糸につかまって昇り始めると、他の多くの罪人たちも自分のあとについてきました。それを見たカンダタは、糸が切れてしまうと思い、「この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。」と叫ぶと、蜘蛛の糸がカンダタの真上の部分で切れて再び地獄の底に堕ちてしまう・・・。
この2つのお話は、わたしが人生において大切にしている想いに気づかせてくれます。
人生は「選択」の連続です。立場や境遇に関わらず、すべての人に日は昇り雨は降りますし、ビジネスにおいてもプライベートにおいてもピンチもあればチャンスもあります。「運不運」は選べませんが、「幸不幸」は選ぶことができます。人生における「選択の基準」として、わたしは、「自分が生かされてある存在だということを忘れない」「人生においてはすべてが預かり物」「はじめの出会いを大切にしつつ、得たものは独り占めしない方が良い循環につながる」といったことを忘れないようにしています。「選択」に迷うことは多々ありますが、「先縁尊重」が「選択の指針」になっています。そんな背景も含めて、手前味噌ですが今回つくったロゴは気に入っていますし、目に見えない想いを視覚化するのはインパクトがあることを実感しています。
「先縁尊重」という言葉は、わたしの原点であり、修整という仕事をするにあたっても「B品というレッテルを貼られたまま目の前の作品(商品)を終わらせてたまるか!」「お預かりしたものをよりよくしてお返ししたい!」というパッションの源泉でもあります。はじめの想いを忘れることなく、これからも御縁の輪を広げていきたいと思います。