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絹の歴史

こんにちは。衣類修整のプロ集団、山田修整です。

 

わたしたち山田修整有限会社は、繊維の産地だった新潟県長岡市(旧栃尾市)で創業して57年。織物・ニット商品の製造工程に関連するトラブルに対処して商品を生かすことに日々全力を尽くしています。「修整」は、そのままでは納品不可とされる「B品」をなんとか生かそうとする仕事です。

 

今回は、絹の歴史についてご紹介します。

新潟県長岡市 衣類修整の専門集団 山田修整有限会社
三大天然素材の一つである絹には様々な歴史があります

絹の歴史

絹は弥生時代前期(2~3世紀)には、その断片が北部九州に土出していることから、この時期、すでに絹が中国、朝鮮からもたらされ、織物も生産され始めていたと考えられています。

 

奈良時代(7世紀)になると法令制度の中で生まれた税制度の一環としての調があったことから、近畿を中心に西日本各地で生産が進められ、中には高級織物である綾、錦なども含まれていました。

 

中世の終わりころ(16世紀後半)、中国から新しい織物技術が輸入されましたが、その中にねん糸技術も含まれ、しぼのある縮緬(ちりめん)が生産されるようになり全国に広がりました。

京都西陣、長浜、丹後の織物技術は現在に至るまで継承され、和装絹織物産地として残っています。養蚕技術も各地で盛んになりました。

 

明治以降、国策により近代設備を導入した富岡製糸所などから生糸が生産されるとともに、各地の織物工場では西欧式の設備を設置して織物生産にあたった結果、国内向け、輸出ともに増大し第2次世界大戦までは重要な産業の位置を占めていました。

 

戦後、ナイロン生産が絹の生産にとって代わるようになり、絹の靴下の分野では完全に衰退するに至りました。養蚕農家も激減し中国などからの輸入に頼らざるを得ません。

現在では和服の衰微が大きく、かつての勢いには及びませんが、もともと合成繊維は絹に近づこうとして発展してきたほどですから、絹には独特の輝きがあり、肌触りがよく、また吸湿性、放湿性に優れているため快適な高級天然素材として見直され、婦人服の分野での用途拡大が期待されています。